01: ただ、偶然かもしれなかったあの瞬間


ほんの一瞬が、まるで永遠のように感じられる瞬間。その存在を、私は知っている。
それは脳が何倍もの速度で働くせいなのだろうか、それとも神経の散らす火花が見せる幻なのだろうか。そんなことは私には解らないし、別に知りたいとも思わない。
以前食事中にこの話題を出したら、シリウスは真面目くさった顔で「ああ解るとも、6年生の終わり頃、スネイプに飲ませて酷い目見せてやろうと思ってジェームズと作った愛の妙薬アップグレードフェチバージョンをうっかり飲んだと気付いてから、解毒剤を飲むまでの数時間。あれはまさに永遠だった」と云ってにやりと笑った。あの時四人で作った愛の妙薬は、愛の妙薬は愛の妙薬でも、目を開けて最初に見た「もの」に恋をするというバージョンアップされたもので、要するにフェチになるのだ。効果はおよそ一週間。実害や周りに掛かる迷惑はほぼ無いが飲まされた方の恥ずかしさは並以上という、何とも愉快なものだった。ただうっかりそれを飲んだシリウスはジェームズ達に散々馬鹿にされた挙句、解毒薬が出来るまでの数時間目を閉じたまま青い顔で震えて過ごした。よほど人前でものに向かって愛を語る姿を晒す恐怖に怯えていたのだろう。一方罠に掛かって薬を飲んだセブルスは終始無言で本を抱き締めたまま、何と云うか一見ほぼ普通に過ごしていた。つまり結局痛い目を見たのはシリウスだけだった、という事件だ。私は十数年ぶりにその話を持ち出され、改めてそれを思い出して笑い転げた。ついでに、そんなことを云って恥ずかしくないのかな、と考えて散々笑った。口に出したらシリウスが激怒するので何も云わなかったが。
だけど、一瞬が永遠に感じられる、というものは必ずしも苦痛を感じている状況だけに発生する事象ではない。
時間とはそもそもひどく感覚的であやふやなものだ。
時計の針が回るのを見て私達はどれだけの時間が経ったか判断するけれど、実際に時間が時計の針の回転と同じ速度で流れているだなんて、誰が確かめたのだろう。地球は徐々に回転のスピードを落としているし、宇宙も凄い勢いで膨張している。全ては刻々と変化しているのだ。安定しているものなんて、揺るがないものなんて、ない。
だから私がたったの一秒を永遠と呼ぼうと、一生を一瞬と呼ぼうと、もしかしたらそこに明瞭な違いはないのかも知れない。
何故なら私は現在の短い幸福を永遠のように感じているから。
一分一秒が緩やかに過ぎ去ってゆく。まるで今まで辛い思いをしてきた分を労わられているかのように。

昔、私に敵対していたものの名を、私は知らなかった。
私が便宜上「運命」と呼んでいたそれの正確な名称は、今でも不明なままだ。多分一生を掛けても私には知ることが出来ないだろう。
別に運命という名称でなくてもいいのだ。それが宿命であろうと、三人の女神であろうと、あるいは絶対神であろうと私は構わなかった。どちらにしろそれが私にあからさまに敵対していることだけは確かだったから。
子供達が無邪気にそれでいて残酷に弱者をいたぶる姿を見たことがある。
彼らは自分達の中から人間を一人一人選別してゆく。ふるいにかけて、誰が異端なのかを決めるのだ。きっかけは些細なものでいい、重要なのはいかにして生贄を選ぶかだ。それから彼らはゆっくりと選ばれた羊を傷つけてゆく。それを純粋に楽しみながら。
運命のやり口はそれに酷く似ていた。時に真っ向から暴力的に、時にはそっと陰湿に。犠牲者は確実に弱ってゆく。
ホグワーツに入学する遥か以前から人狼という重い枷を架せられた私は、既に人生が終わりの見えないトンネルと化したことを知った。満月の度に私は自分をコントロールすることを知らない化物になる。人を殺してしまうのではないかという恐怖に怯え、かと云って自殺を選ぶことの出来ない薄汚い保身に項垂れた。もう希望なんてないのだと思っていた。
そして唐突に、そして今までの暗い過去が嘘のように軽々と与えられた幸福。
私は普通の人間として学校に通うことが許され、私の過去をも許容してくれる友人達を得た。
確かに幸福だった、七年間。喪うことに怯えてはいたけれど、それでもそれを私は幸福と呼ぶことが出来た。
だが、私は騙されていたのだろうか。結局運命は私が心を許したもの、愛したものを一つ一つ叩き潰し、壊してゆくことによって私を一層傷付けた。虐められる子供に友人の振りをして近付き、相手が気を許し信頼したところで手酷く裏切って見せる、虐めのやり口の一つのように。
私には何が残ったのだろう。私は独り虚ろにジェームズとリリーの墓を見つめ、少々強引ではあるが確かな親愛の情を示してくれていた友人達の不在を痛感した。いつでも自信に溢れ、何も恐れず、自分達が正しいことを疑わず、若々しい才能を見せ付けてみせたジェームズとシリウス。彼らほどの才能も自信も持たず、だからこそ酷薄にも優しくもなれたピーター。私は彼らを失ったと同時に七年間の思い出すら失った。ジェームズは友人に売られ、ピーターは殺され、シリウスは二度と日の目を見ることがない。
私はどうすればよかったのだろう。泣けばよかった?友人達の後を追って死ねば?それとも復讐を誓えば、よかったのだろうか。
耐え切れなくなって目を閉じた私は、子供の頃いつだって見ていたあの終わりの無いトンネルが私の前に口を開けているのを見た。一時でも明るい世界を見てしまった私には、その闇は一層耐えがたかった。
私は自分が運命に呑みこまれて行くのをはっきりと感じ取っていた。

あれから十数年が経つ。
私は真実を知り、シリウスは未だ指名手配犯ではあるものの自由を手にし、生き残った男の子は今も生きている。
欠けているものは沢山あるけれど、私は今、きっと幸せだ。
シリウスの云う下らない冗談に笑い転げたり、二人で肩を寄せ合ったり、ハリーからの手紙を一緒に読んだりする時、私は幸福というものの輪郭を見る。
ああ、私は運命の罠を恐れているんだ。
いつか運命は以前私にしたようにまた何もかも奪い取るのではないかと、私は恐れている。
この話を君にしたことはないし、これからも多分することはないだろう、シリウス。
何故子供達が生贄の子供を虐める時に様々に手を替えるか、君は知っているだろうか。
勿論彼らが同じ虐め方を繰り返していては飽きてしまうのも要因の一つだろう。だけどね、繰り返される同じ苦痛には、虐められる側はいつか少しずつではあるけれど慣れてしまうんだ。傷付くことに変わりはないけれど、諦めてしまえる。だからより効果的に犠牲者を傷付けられるよう、彼らは方法を変えるんだ。
私はほんの少し慣れてしまったんだよ、シリウス。
喪失は今までにも繰り返されたことだった。私はもう喪失の辛さを、悲しみを知っている。
だから私が恐いのは喪失そのものじゃないんだ。
私が恐れているものは、君を失ってもきっと生きてゆけるであろうという事実だ。
例え君が死んでも、私は生き続けるだろう。私はそれが怖い。怖いんだ。
だからシリウス、私がこの話を君にすることは、ない。
運命が私達を粉々に粉砕してしまう時までは、私は静かに現在の幸福を享受していようと思っている。今だけは、何者かに全てを奪われてしまうまでは、私達は多分誰よりも自由だから。
これは私の記憶の底に沈み、「語られなかった話」となるだろう。
永遠にも似た、このひとときのために。


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