「砂時計の止め方」 8


 何と云うか、発作のように愛情が溢れる瞬間というものがある。
 それは恋人の普段の何気ない様子をぼんやりと眺めている時であったり、初めてキスを交わした後に相手の少しばかり紅潮した頬を見た瞬間だったり、あるいは俺が真後ろに居るのに俺を探し回っていたりする恋人の後姿を見た時であったりする。そんな時、俺はどうしても相手を賞賛せずには居られない。あるいは改めてどれだけ相手を好ましく思っているか形容しなくては気が収まらなかったりもする。
 しかしどうやらこの、相手を好ましく思う瞬間のピークのようなものは、誰にでも訪れるものではないらしい。
 以前付き合った女性のうちの数人は、俺が唐突に相手を褒め出すと目を丸くした。何故大した理由も無くいきなりそんなことを云い始めるのかと不思議がり、俺が気持ちのメカニズムのようなものを説明すると、じゃあ普段は好きじゃないのかとかそもそもピークなんてものは存在するのかとか、そういったことばかり質問してなかなか納得してくれなかったものだ。俺は思ってもみなかった反応に驚くと共に、自分の気持ちが伝わらなかったことに少々落ち込んでしまった。
 だが俺はもともとそういった感情のピークを迎えることを楽しいと感じていたので、そういった少し余分な機能を持たない彼女たちに少しばかり同情したものだ。最も、この場合こういった感情のメカニズムは最初からさして必要なものではないので、あったところで精々得した気分になるというだけのものだけれど。
 今日もリーマスは一階から何か本を読みながらとんとんと階段を上がって来て、そして最後の一段が終わったと云うのにまた足を上げてしまいバランスを崩した。
 基本的にリーマスは何だかんだ云って非常にバランス感覚だとか、そういった部分が発達している方なので、別段転げ落ちたりといった大事には至らなかったのだが。バランスを崩した瞬間に「えっ」といった感じに目を見開いたのが おかしくて、その途端唐突にリーマスを好ましく思うピークがやって来た。
 俺は思わず無言のままリーマスを抱き締めてしまう。一気に湧き上がってきたこの暖かく微笑ましい気持ちを何と言葉にして伝えたらいいのか、とっさには思いつかなかったからだ。
 肩にリーマスの頭を押し付けるようにして優しく抱き締め、肩甲骨のあたりに両手を回していると、リーマスが何度か「シリウス?どうしたんだい?」などと問いかけてきた。何も話す気分ではなかったためそのまま無言でいると、しばらくしてリーマスがそっと俺の頭を撫で始めた。
 どうやら何か誤解されているようで、それに俺は些か不満になったが、まあ構わないと思い直すことにした。こうやって抱き締めている間は、このうすぼんやりした気分とその権化のような大切なものは俺の腕の中にあるのだという気がして。
 男が二人、階段の上で抱き合っている図というのは考えてみれば非常に滑稽だし、俺はこれから昼食の準備を始めるつもりだったのだけれど、そんなことがどうでもよくなる瞬間というものがあるのだ。きっと。
 俺はすこし微笑みながら、俺に出来る限り優しくリーマスの頭にくちづけた。
 きっと微笑み返してくれたリーマスの、本を持っている方の手がちょっと行き場をなくしたように俺たちの脇でふらふら揺れていた。


back