012 : ガードレール
ニノは知っているのだろうか。
俺がもうそろそろ耐え切れなくなっているってことを。知っているのだろうか。
実はかなり疲れるんだよね。ニノと居るのって。
お互いの本心を探り合って、冷たい態度をとって、そっけなく触れ合う。減っていく会話の数、それに反比例して増えていくいさかいの数。
好きだとか愛してるとか、そんな言葉を軽々しく云えたら多分もっと楽だったんだろうけどね。
何か……もう、疲れたんだ。すごく。
その癖どうしてもやめらんなくて。
馬鹿なことしてるって解ってるけど、このまま精神を磨り減らしていったら俺がなくなってしまうような気がするから。
悪いね、ニノ。
仕事の合間、松本からメールが入った。
確かに仕事中は電源を切っていた。でも最近ますます興味の無い顔をするようになったあいつがわざわざメールを送って寄越すなんて、そんな急ぎの用でもあったのだろうか。
メールを開くと、一言。話があるから今すぐ来て欲しい、とだけ。
用件だけのひどくあっさりしたメールに、知らず溜め息が出た。
時々、なんであいつが俺と居るのか理解できなくなる時がある。
話しかけても無視されたり、突然怒り出されたりと、いっそ嫌われてるのではと思えるような態度をとられたりする度、俺はひどく苛々してしまう。
もうやめたいのならそう云ってくれればいいのに。
そんなときにこう思ってしまうのは俺が自暴自棄になっているからなのだろうか。
「……ったく、どこにだよ」
低く呟きながら、俺は携帯の返信画面を開いた。
『どこに?』
送信から10分と経たずに返ってきたメールに、つい期待してしまいそうになる。
心臓の鼓動を意識しながら、俺達が気に入っているレストランの名前を打ち込んで、送信した。
大通りに面したそのレストランなら、ニノが来なくてもきっと大丈夫だろう。
あまり遅くまで開いていないそこなら、閉店時間になってもまだ人通りが多いから、多分それほど不自然じゃない。
しばらくして返ってきた『遠い。今日は忙しいから行けないかもしれない』というメールを虚ろに見つめながら、俺は部屋の壁にもたれかかった。
涙は枯れて、もう出ない。
仕事を済ませて、帰る支度をする。
今日一日ずっと動きっぱなしだったせいでくたくたに疲れ切っていて、堪らなく眠い。
荷物を入れた鞄を肩にしょって立ち上がったその時、ふと松本を思い出した。
あー……。松本、待ってんのかな。
さっきメールに返信した時、行けないと断っただろうか。忙しさであまりはっきりとは憶えていない。
だけどいちいち鞄から携帯を出して確認するのも面倒だったので、俺はそのまま歩き出した。
どうせ俺が忙しいことくらい解ってるんだろうし。すっぽかしても最近じゃ文句すら云われないし。
大体松本だって俺との約束平気ですっぽかすんだから、一度くらい行かなくたって怒りはしないだろう。
あんな閉店時間の早いレストランなんか指定しやがって。もうすぐ閉まる時間じゃないですか。
店閉まったらどうすんだよ。あの馬鹿。
……やっぱ行くか。
ラストオーダーの時間はとっくに過ぎて、そろそろ閉店。
一応頼んだ食事も結局あんまり手をつけないまま下げてもらって、俺は最後にコーヒーを注文した。
そのコーヒーも、もう冷め切っている。
頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺める。結構遅くなっているのに相変わらず人は多い。
俺はもう一度時計を見てから、そろそろ潮時だろうと判断して冷め切ったコーヒーを飲み干した。
会計を済ませて店を出る。
店員は俺を何だと思っただろうか。彼女に振られたとか?あるいはただ食事に来ただけ?
でも多分本当の理由なんてきっと永遠に解らないだろう。
俺は肩の力を抜いて真上に広がる夜空を仰いだ。汚れた空気のせいで、星なんてちっとも見えやしない。
こんな終わり方も、きっとそう悪くはない。
俺はふうっと一つ溜め息を吐くと、そのガードレールの方へと歩み寄った。
このガードレールを越えて、黒々としたアスファルトを踏んで。
目を閉じて足を踏み出しさえすれば、全てが終わる。
こんな方法しか選べないなんて、ほんと馬鹿だよね、俺。でももう逃げ出したいんだ。
松本、と声をかけようとして俺は息を呑んだ。
もう閉店時間直前らしく、店から出てきた松本が道路を見つめていた。
何かを決意したようにも見えるその横顔が、ひどく切なくて。後悔に近い感情で胸が痛んだ。
俺は松本に何をしてしまったんだろう。
俺は松本に何をし足りなかったんだろう。
早く捕まえないと、逃げられてしまいそうな気がして、俺は松本の名前を呼んだ。
「松本さん!」
ニノの声に、振り返った。
俺の右手はもうガードレールに触っていて。心も、もう決まっていて。
だけど振り返った先にはニノがちゃんと居て、ニノの斜め後ろにあるあのレストランは、まだ閉店してなかった。
不意に、泣き出しそうになった。俺は思わず俯いてしまう。
走り寄って来たニノが、逃がさないとでもいうように俺の肩を強く掴んだ。
「ごめん」
やたら真剣な顔をしたニノに、いきなり謝られた。
「……何謝ってんだよ」
顔を背けたままそう呟いたけど、半分涙声で。あんなにも押し隠していた弱さを曝け出してしまったことに気付いたけど、不思議とみっともなさなんて気にならなかった。
その代わり、ニノが来てくれてよかったと、心から思った。
まだ当分は、君を失いたくはないから。
少しくらい辛くてもいい。
こうやって、ガードレールの内側で、君を待ってる。
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