わがままな手 3
あの日から、数日。俺は仕事の関係で泊まったホテルで、珍しくニノと同室になっていた。
スケジュールのズレで、今日まで一度もニノとは会話するどころか顔も合わせていない。
俺はいつものようにシャワーを浴びてベッドに寝そべり、雑誌をめくっていた。ニノもニノでヘッドフォンを耳にあててこっちに背を向けている。
会話が無いのなんて別に当たり前のはずなのに、何だか気まずいような気がしてどうしても雑誌に集中出来ない。
そわそわと無駄に体の向きを何度も変えた挙句に軽く溜め息を吐いて雑誌を閉じると、ちょうどヘッドフォンを外したニノが振り返ってこっちを見た。そのまま不機嫌そうな顔で数秒間じっと見られて、不躾な視線にムカつく前にいたたまれなくなる。
「……何?」
「別に」
つまらなそうにフイと逸らされる視線に何故か苛立って、俺はヘッドフォンをあて直そうとしたニノを呼び止めた。
「ニノ」
「何ですか」
また真っ直ぐに向けられる視線が何だか居心地悪い。何でニノはこんなに直線的に俺を見るんだろう。
何もやましいことなんかないのだけれど、俺はニノから視線を逸らした。
壁の辺りに視線をさまよわせながら、今まで疑問に思っていたことを訊いてみる。
「あのさ。……この間の電話の相手、マジでセフレなの?」
「そうですけど。それが何か?」
あの日は目に見えて不機嫌になったニノの態度が、今日はひどく醒めていた。
「いや……そういうのって、バレたらちょっとヤバくない?」
俺が口を出せる問題じゃないことは解っている。それでも敢えてこうやって注意するのはそうした方がいいということも解っているからで、でもだからと云って気が引けない訳じゃない。
はあ、とニノが一層不機嫌な顔で溜め息を吐いた。
「だから何なんですか。文句があるならはっきり云ったらどうですか」
「文句がある訳じゃないけど……」
「じゃあ俺が誰と寝ようと松本さんには関係無いでしょう」
「でも……」
このままいけば怒らせるだけだ。解ってはいてもなおも云いつのる俺に、不機嫌が頂点に達したらしい。眉を顰めて俺を見るニノの目がだんだんと苛立ちに据わってきた。
「何キスもしたこと無いガキみたいなこと云ってるんですか。生きてるんだからセックスくらいするでしょう。それとも何?松本さんはまだな訳?」
「ちょ……っ」
……何でこんなに怒ってんだよ。
俺はどうやらマジ切れされているらしい雰囲気に困惑した。話の流れもどんどん変な方向へ逸れていく。
「あのなあっ、俺は心配して云ってんの!」
「余計なお世話なんです」
云われて、かなりムカっときた。
「トラブルを持ち込んでるのはお前だろ!バレて困るのは俺達なんだよっ、それをキスがどうのセックスがどうの云いやがって!出来るって云ってんだろ!」
勢いで一気に云って睨み付けると、ニノも睨み返してきた。
「あーそうですか」
「ああそうだよっ」
云った途端、夜着の襟を強く掴まれて引っ張られる。そのままキスされたことに、気持ち悪くなるよりも驚いた。
男にキスされたのに気持ち悪くないのは、俺がニノを好きだからだ。混乱の中にもそんな思いがよぎって、俺はそれに改めて動揺した。
「……っ」
そのまま、逃がさないと云うように後ろのベッドに強引に押し倒された。
顔を背けて押し退けようとした瞬間、ニノの舌が滑り込んできた。ぬめる感触に体が強張る。
嫌がらせなのは解っていたけれど、いくら何でもここまでされるとは思ってもみなくて、俺は慌てて体を離そうとした。
だけどニノの片ひざが俺の脚の付け根の辺りを押さえているせいで、体を起こすどころか身動きもままならない。
そのまま舌を絡められ、口の中を確かめるようになぞられて、押し戻そうとニノの肩に当てた手が思わずびくりとした。
そんな俺の反応を嘲笑しているのはニノの顔が見えなくても解った。悔しさと羞恥に、顔が火照る。
ニノの肩を押す手に力を込め、顔を背け続けていると、ようやくニノが俺から離れた。
「っ……何すんだよ!」
口許を強くぬぐいながら睨むと、ニノが明らかな嘲りの眼差しで俺を見て笑った。
「なんだ、反応イイじゃないですか……女経験はロクにあるかどうか怪しいけど、男経験はあるんじゃないですか?」
「云ってろ。この……変態」
心の中の動揺を知られたくなくて軽蔑と嫌悪の目を向けると、突然ニノの表情が変わった。
目は相変わらず据わったままなのに、口許には微かに笑みが浮かんでいる。
「ああそうかも知れませんね」
低い呟きと共に、俺を押さえつける手の力が強くなった。
「ニノ?」
困惑してニノを見上げた途端、また唇を重ねられた。
さっきは嫌がらせだったけれど、今度はどういうつもりなのか解らなくて硬直していると、ニノの手が腰から脇腹に這わされた。夜着をたくしあげられて、青くなる。
「っ、ん……っ!」
焦って闇雲に抗ってみたが、抵抗らしい抵抗も出来ないまま下着を引きずり下ろされる。下肢に触れられて体が引き攣った。
「ちょ……っ、冗談よせよっ」
「冗談じゃありませんよ」
云われて見上げたニノの表情は影になっていてよく見えなくて。
一瞬絶句した隙に、男同士ってどうするんでしたっけ、なんて台詞を聞かされてぞっとした。
……まさか、そんな。
ニノの手が確信的に俺の体をなぞっていく。そのまま当然のように下肢にも触れられ、唾液で濡らした指をそこに突っ込まれて俺は思わず呻き声を上げた。
「うっ、ううっ」
痛い、というよりは気持ちが悪い。強い異物感に吐き気が込み上げる。
「やめろ……!」
探るようにぐっと動かされて、悲鳴を上げた。酷いその感覚に、抵抗する力がなくなってゆく。抗おうにも気分が悪くて堪らなかった。
内臓を直に触られているということに生理的な嫌悪感が込み上げるのに、時々気分が悪い中にもニノの指が掠める感触に妙なくすぐったさを感じて体が引き攣ってしまう。このままではニノの思惑通りになってしまいそうな屈辱感に、俺は歯を食いしばってその感覚を押し殺した。
「っくそ!やめろよ、ニノッ!」
けれど、いくら嫌だと云って拒んでもニノは何も云わない。掴まれた手を掴み返してぎりぎりと爪を立てると、逆にニノのものを押し当てられて、恐怖のためにいっそ涙が込み上げてきた。
「っあ!あ、あ……っ」
ぐ、と押し込まれる感覚に体が強張る。
「……ぃ、あ、……はッ、うぅっ」
もう、抵抗どころではない。痛いという意思表示をするのも困難で、俺は蒼白になって何度も浅く息を吐いた。
鈍い痛みと、入る訳がないという恐怖と、もはや逃れられない絶望感。脂汗が額に浮かぶ感覚だけが異様にはっきりと感じられる中、ニノが一旦は止めていた動きを再開して、俺はまた息を呑んだ。
ゆっくりとした動きに、中がずるずると擦られる。
胃がひっくり返りそうなのを必死で堪えて、俺は声もなくニノの腕を掴んだ。
痛、とニノが声には出さずに呻く。
そのまま繰り返される動き。相変わらず辛いけれど、徐々にこの状態に適応してゆく体。
お互い熱に侵されて、やるせない息を吐く。
汗で額に張り付いた髪をかき上げながら、ニノが俺を見つめた。
痛みと違和感と吐き気と、それと慰め程度の快感にぐちゃぐちゃになったまま見つめ返すと、すぐにふいと逸らされる。
絶対に俺の方が辛いはずなのに、俺を貫きながら俯いたニノはずっと辛そうな表情をしているように思えた。
それから、その瞬間がやって来て。
「っ、は……」
ニノが俺の額に自分の額を押し当てたままぐいと深く突き上げて、動きを止めた。
体の奥にぬるりとした不思議な感じがして、それなんだと解る。
だけどどうしてもなくならない異物感のためか俺は何だか曖昧なままで、荒い息を吐きながら俺から抜いたニノが、改めて俺自身に触れてきた。
「んっ」
俺がどれだけ拒んでも強引に行為に及んだ癖に、今更労わるように丁寧なキスをされる。
くちづけの合間に浅く息を吐きながら、俺は熱を帯びたそれに指を絡められる感覚に身を委ねた。
そう云えば行為の最中、一度も名前を呼ばれなかったな、と頭の隅で遠く思いながら。
終わった後、どちらも無言で。ぼんやりと天井を見上げる。
挿れられていた間の異物感はかなり強くて、まだ自分の内部に何かが入っているような感じがする。腰の鈍痛も当分はなくならないだろう。
強姦まがいのことをしたニノへの怒りはあるけれど、恨んでいる訳ではないことをどこか冷静な頭で確認する。それよりも今は疲労と倦怠感の方が強かった。
汗が引いてきて気持ちが悪い。そう思っていると、不意に、ニノは何故自分を抱いたのだろうと考えてしまった。
試してみたかっただけとか、もののはずみとか、性欲発散とか。
そんな理由だったとしたら、知りたくなんてない。
俺は急にニノに弁解されるのが怖くなって口を開いた。
「……ニノ」
「……」
無言のままのニノに、俺はハアッと溜め息を吐いて見せた。
「ったく……。やるならちゃんと先に承諾取れっての」
もう一度、溜め息。
相変わらずニノは何も云わないけど、どうやら訝っているらしいようすは何となく伝わってくる。
「そりゃ興味が無いわけじゃなかったけどさ。いきなりやられたらいくら何でも驚くだろ」
「……松本?」
ほとんど囁きか呟きに近い程度の声だけど、ニノが背けていた顔をこっちに向けた。
それで俺はことさらそっけなくニノを見た。
「それをいきなりゴーカンしやがって。痛えんだよ!んの性欲馬鹿!」
怒り半分、諦め半分。そんな表情をつくって見せる。さすがに表情から疲労は拭えていないけれど、かすかに上げた口許から、ニノは俺がもう許せない程怒っている訳じゃないことを察してくれるだろうか。
ドキドキと心拍数が上がって、息が少し苦しくなる。
「まあ、……そんな嫌ってんでもなかったけど」
内心を気取られないようにさらっと口にして、ごく自然にふいと顔を背けた。
強姦に近い行為をされたのに、ニノを失ってしまうのが怖くて、こんな芝居を。馬鹿げてる。
そんな自分が下らなくて、切なくて。泣きそうだ。
それでも、ニノを失わずに済むのなら。
俺はニノに背を向けたまま、ニノなんかいっそ死んでしまえ、と心にも無いことを口の中で呟いた。
the end.
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